運命の法則を知ろう

運命は決まっているのか?

運命は決まっているんでしょうか。

「…運命だったんだよ」

失敗して落ちこんでるときにも、恋の媚薬に溺れそうなときにも、大事な人が亡くなったときにも、このセリフが出ると、妙に説得力がありますよね。
 なんだか本当にそんな気になってしまう。
まるで、ずっと昔から決まっているかのような、不思議な響き…。

運命。

逃れられない未来を暗示するような、神秘的な言葉。

ただ一つの変わらないものとは?

ところで、この世の中でぜったい変わらないことを、
ひとつあげてみて、と問われたら、
あなたは何と答えるでしょう? 

答えは、「あらゆるものは移り変わっていく」という、
たったひとつの真実です。

この世に「時間」というものがあるかぎり、すべてのものは変わり続ける。

 つまり、この世で唯一変わらないものとは、
すべてのものが変わり続けるということなのです。

生まれて、生きていく

さて

 人は、生まれてから死ぬまで人ですよね。
人として生まれ、人として死んでいきます。

たとえば、生まれたときは鳥で、成長するに従って、
魚になったり、花になったり、ビルや道路や冷蔵庫になったりして、
死ぬときにやっと人に戻る、なんてことはありえません(笑)。

同じように、植物は植物のまま、地球は地球のままで、ありつづけるものです。
 「人の運命は、人として生き、人として死んでいくことである」
その通り。
 「あなたはあなたとして生まれ、あなたとして死ぬ」
そうですよね。
その真実は、運命と呼ぶに相応しいかも知れません。

ひまわり

ちょっと話を変えましょうか。ここにひまわりの種があるとします。

ひまわり

 ひまわりなんて、まったく見たことも聞いたこともない人々(そんな人がいればですよ)に、「この種をまけば、夏には黄色い大きな花を咲かせるだろう。
その花は、太陽を追いかけるだろう」なんて予言をしてみましょうか。

実際に花をつけたひまわりを見た人々は、
「驚いた、すごい予言者だ」などと口にするかもしれません。
だって、こちらは良く知っていても、相手にとっては見たことないものでしょ。

 本題に戻ります。
 ひまわりの種からは、ひまわりの花しか咲きませんよね。
 そして、あなたはあなたとしてしか生きられません。
これは『決して変わることのない範囲』を示しています。

さらにこう予言してみましょう。

 「日陰にまいた種には小さな花が、日なたにまいた種には大きな花が咲くだろう」。
 「春にまけば花が咲くが、初冬にまけば枯れるだろう」。
「水を与えなければ、やがて枯れるだろう」。

全部、予言通りになるでしょうね。
当たり前のことを言っているだけなのに。

運命は不思議なものじゃない

運命を論じていくのもこれと似ているのです。

ひまわりの性質をあらかじめ知っていたように、
人の運命の性質さえ知っているならば、
なんの苦もなく、ある程度の未来は読めてしまうわけです。

少しも不思議なことじゃありません。

同じひまわりでも、日陰と日なた、種をまく時期、
水の有無などで、まったく違った育ち方をしていきます。

ひまわりという『範囲』は同じでも『環境』が変われば、違うものに見える。

そうですよね。

大切な三つの要素

これを我々の人生に置きかえてみましょう。

「種」にあたるものは、生まれた瞬間に決定していて、変えようのないものですね。

人間であること。
生きていること。
男女のいずれかということ。
生年月日をもつこと。

これらのなかから、生年月日という部分を切り取って、
ある法則に従って変換したものを『宿命』というのです。

生年月日から算出される「宿命」とは、
地球のある一瞬のエネルギーを切り取った姿なのです。

「種のまかれた環境」にあたるのは、生まれたときの環境ですね。
どこの国に生まれ、どんな家系に生まれ、
どんな両親のもとに生まれ、どんな家族がいて、どんな天候のときに生まれ…。

宿命と同じように、これらも変えようがありません。このような、生まれたときに取り巻いている環境のことを『先天環境』といいます。

さらに、育っていくときに通る環境もあるわけですね。
どんな名前をつけられたか、から始まって
食生活、経済状態、教育、友達、遊びの内容から、
恋、結婚、健康状態、宗教、思想、趣味など、
およそ考えられるかぎりの環境のことを『後天環境』といいます。

『宿命』『先天環境』『後天環境』という三つの要素。
 これを覚えてください。
たったこれだけで、運命の謎が解けてしまうのですから。

運命の図式

宿命×先天環境×後天環境=運命

この、あまりにも単純な図式。これが『運命』のすべてなのです。
 つまり、宿命という「範囲」は同じでも、
環境が変われば「違う運命に見える」わけです。

宿命は決まっているけれど、運命は決まっていなかった!
なぜなら、環境というものが決まっていないわけでしょ。
これ、すごくありません?

運命は、変えられるのです。

ひまわりの種から、蘭の花は咲かないし、魚が生まれるはずもない。
ひまわりはひまわりです。
これが宿命。これは変わりようがない部分ですね。

あなたは「あなたという範囲」を超えることはできません。

でも、ひまわりという範囲(つまり宿命)のなかで、
大輪の花を咲かせたければ、よく陽のあたる肥沃な土地で、
水をきらさず与えて育てればいいわけですよね。

もちろん、人間の運命はもっと複雑です。
しかしながら、「大輪の花」を咲かせるための環境さえととのえば、
わたしたちの運命にも、確実に素晴らしい花が咲いてくれるんです。

あなたを美しく咲かせるために

開運なんてかんたんですよ。

あなたを開運に導く「必要な環境」とは何か。
これがわかれば、進むべき方向も見えてくるじゃありませんか。

もちろん、人それぞれに必要なものは違うわけで、一概には言えません。

早くに独立することが必要な人もいれば、
親の後を継いでいくことが必要な人もいます。
あるいは、一見ひどい苦しみに思えるようなことが、
将来の開運にとって必要不可欠だったりすることもあり得るわけです。

大輪の花を咲かせるには、太陽や水、肥沃な土地が必要ですね。
ところが、それら(太陽や水など)にあたる要素は、
意外なものだったりするんです。

たとえば「若年期に孤独を味わう」という環境こそが
「太陽」にあたる場合も、よくあること。
もしそうなら、どのような形であれ、
孤独の中に身をおけばいいということになります。
孤独とは「突出」です。
誰よりも図ぬけて頭がいいため理解者がいないとか、
家族の仲が悪い、学校ではいじめにあい、
といったような環境を通過すれば、いずれいい芽をだすことになるのです。

もちろん、その芽を育て、さらに花を咲かせるためには、
踏みつけられた草がたくましく伸びていくように、
孤独や絶望という試練を乗り越えて、たくましく伸びていかなければいけません。
そして、そんな試練があったからこそ、
前向きに、温かく、愛にあふれるような人生を送れるようになれたんだと、
過去に感謝をもてたなら、まさに本物なんですね。

逆に・・・

 逆に、孤独を必要とする人が、みんなと仲良く理解しあって、
なんの孤独感もなく育ったとすれば…。
大輪の花どころか、弱くてはかない運命になってしまいます。

突出というエネルギーをどこかで欲しますから、
特別意識やプライドに縛られて不自由な思いをしたり、
「私はみんなと違うのよ」なんて人を見下したりしがちになります。

それでも、そのエネルギーを充分消化できないことも多いわけです。
すると、不思議と歳をとってから、
無意識のうちに孤独というプログラムを実行しようとするんですね。
偏屈になったり、何かの思想に目覚めてそれまでの人脈を捨てたり…。

理由を知ると

森羅会のコンサルティングにも、よく、そんな悩みをもった方がいらっしゃいます。
 ところが、悩みの理由が矛盾であること、
矛盾の原因になるもの、矛盾をクリアするために必要なことなどを告げると、
少しのショックこそあっても、
不思議とパーッと霧が晴れたような表情をする人が多いんですね。

人間というのは意外と強いもの。
どうしてそうなったかを理解して、自分の心が納得すると、
その瞬間、試練に耐えて未来を切りひらこうとするパワーが、
ぐわーっとみなぎってくるものなんです。

運命の傾向を知れば

このサイトでは、あなたの「宿命」を知り「必要な環境」を知り、
そして「必要な考え方を身に付ける」ためのプログラムを用意しています。

もちろん、あなただけにあてはまる、超精密なものではありませんよ
宿命と簡単に言いますが、生年月日の数だけ存在するわけで、
単純計算しても350万通り以上に分けられるのですから。

六甲法は6通り、花宮占術は12通り、結婚占星術は60通りにしか分けられません。
ですが、たった6通りにしか分けられなくても、
そこに脈々と流れる「開運への道」は
精密な占術で得られるものと、基本的には同じなのです。
そう。“自然か矛盾か”ですからね。

提示される性質と自分の「差」をなくしていくことが、
ある意味でいい運、幸運に近づくことなんです。
大したことのない占いであったとしても、正統な流派のものであるなら
使い方次第で価値は大きくなりますよ。
そこに書かれていることを「当たってる」とか「当たってない」程度で
終わらせず、ある程度その象徴の通りにやってみるのです。

たとえば、もしあなたが「森の人」であるなら、
本来「初代として独立する」ことや、
遠慮なくものをいうという性格が自然なわけです。
じゃあ、独立してみようか、ズケズケとものを言ってみようかと、
実際にアクションを起こしてみる。

そういったことを参考に、勉強してみるのもいいはずです。