- 水清くして
- 「自分から見ると、これが正しい。だから、こうする」
それは、当たり前のことでしょう。
- 「自分から見ると、これが正しい。だから、こうする。そうでない人は間違っている」
これも、まあ、あることです。
- 次はどうでしょうか?
「自分から見ると、これが正しい。だから、こうする。そうでない人は許せない」
危険な臭いがしてきます。
- では、これはどうでしょうか?
『「自分から見ると、これが正しい。だから、こうする。そうでない人は許せない」。なんてことを言う人ほど、許せない』
- 「許せない」合戦の始まりです。
- 自分は他の人とは違います。
その違いを認められるかどうかで、人生の豊かさが変わってきます。
違いを認められないと、他の人を攻撃するか、逆に「我慢」という自分への攻撃になってしまいます。
- ではなぜ、違いを認められない人がいるのでしょうか?
少し角度を変えて考えてみましょう。
- この社会では、信号が赤になると、人も車も止まらなければなりません。
では、車が一台も走っていない交差点の赤信号でも、歩行者はストップする必要があるでしょうか?
- もちろん、そういう決まりだから止まらなければならない。
いや、信号というのは交通の安全と秩序を守るものだから、車が一台も走っていない以上、歩行者は赤信号を守る必要はない。
- あなたは、どちらに賛成するでしょうか?
- どちらの考え方もありですよね。
建前は前者、本音は後者というところでしょうか?
- そうなんです。建前と本音を使い分ければいいのです。
これも、なんだかいやらしい考え方に思えるでしょうか?
- 私たちは、陰と陽という二元の世界に生きています。
表があれば裏があり、プラスもあればマイナスもあります。
もっと言えば、裏がなければ表もなく、マイナスがなければプラスもありません。
- 表と裏、プラスとマイナス、本音と建前、善と悪…つまり陰と陽が混在する世界に、私たちは住んでいるのです。表だけ、プラスだけ、本音だけ、善だけを求めると、世界は成立することができません。
昼だけの世界、夜だけの世界に、私たちは住んでいるでしょうか?
違いを認められない人は、そのことに気づいていない人たちです。
- 「水清くして魚棲まず」
濁った水こそ、栄養分豊かな私たちの世界なのです。
- ただ、勘違いしないでください。
物事には裏があり、本音と建前を使い分け、悪がはびこるのは仕方のないことだ、と言っているわけではありません。
- そのことについては次回に。
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