面倒くさい悩み2
やりたくないけれど、やらなければいけない、それが「面倒くさい」を生む原因でした。
だとしたら、やらなければいけないことが、自分のやりたいことになれば、「面倒くさい」ということはなくなります。悩むこともなくなるでしょう。
ではどうしたら、やらなければいけないことが、やりたいことになるのでしょうか?
たとえば、喉が渇いているとき、水を飲むことを「面倒くさい」と思う人はいるでしょうか?
恐らく殆どの人が、喜んでコップに手を伸ばすでしょう。
水を飲むことは、好き嫌いを越えて、からだが欲すること、やりたいことになっています。
朝、早起きして、子供のお弁当を作ることはどうでしょうか?
お弁当を作ることがやりたいことになるには、どうしたらいいのでしょう?
子供の笑顔を思い浮かべる、元気に育つ子供の未来を思い描く…
それはそれで、お弁当作りの原動力にはなるかもしれませんが、お弁当作りが「やりたいこと」になるのとはちょっと違います。
少し角度を変えて考えてみましょう。
自分がやりたいことと、やらなければいけないことのギャップは、どこから生じるのでしょう?
喉が渇いたときに水を飲む、という行為は、そのふたつが一致しています。やりたいことがやるべきことです。肉体の欲求が、本人をその気にさせています。
子供のお弁当を作るという行為は、肉体の欲求ではありません。でも、やらなければいけないことです。いったい誰が、何が、それを求めているのでしょう?  子供でしょうか、学校でしょうか、配偶者でしょうか、世間の目でしょうか…?
それらすべてをひっくるめた、あなたの現在の「環境」がそれを求めているのです。
自分はやりたくない、でも、置かれている「環境」がそれを欲している…。
では、自分の気持ちと「環境」が求めていることと、どちらを優先すべきでしょう?
思い出してみましょう。
私たちは、自分の気持ちや意志とは関係なく、この世に誕生して来ました。
そして、殆どの人が、自分の気持ちや意志とは関係なく、この世を去って行きます。
自分が今いる「環境」は、すべて自分で選択し、自分で築いたものでしょうか? 
もちろん、自分の選択は必須です。でも、就職するにしても、結婚するにしても、自分ひとりで決定することはできません。必ず相手の意志や気持ちが必要になります。
相手が自分を必要とするかしないか、それによって「環境」は決定されていきます。
つまり、今あなたがいる「環境」は、周囲があなたを必要とした結果なのです。
この「環境」という言葉は、「運命」という言葉に置き換えてみることもできます。
子供のお弁当を作ること、それは「運命」があなたに欲していることです。
喉が渇いたときは、肉体に水が必要なように、あなたの「運命」には、子供のお弁当を作ることが必要なのです。そして、必要なことしか、あなたがやらなければいけないことはありません。
周囲に、環境に、運命に必要とされていること、
それが、「やりたいこと」になれば、人生は楽しいことだらけです。
やりたいことだけを、やっていればいいのですから。
 

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