- 返却
- 突然ですが、私たちは「借りもの」です。
- 裸一貫で生まれて来て、その後成長にするに従って色々なものを手に入れて行きますが、それらはすべて貸し与えられたものです。
- 大人になって自分で衣食住を得るようになっても、人様が作ったものを与えられて生活をしています。
- いやいや、そんなことはない。
自分は自給自足をしているし、家は自分で建てた。服も自分で仕立てた…。
すべてにキチンと対価も支払っている。
- しかし、例えば、稲を育てる水や光は、その人個人のものではありません。
その人が、水や光を生み出したわけでもありません。
- 家を建てる土地は? 服は?
土地も建材も服の生地も、その人が作り出したものは何ひとつありません。
- 私たちの体も「借りもの」です。
体を作っている細胞、細胞を作っている分子、分子を作っている原子、
そして原子を作っている素粒子…。
- 私たちの体を作っている素粒子は、宇宙を作っている素粒子です。
その素粒子から私たちは作られ、寿命を終えると、また素粒子に戻っていきます。そして、また新たなものに生まれ変わります。
- すべては、宇宙からの借りものです。
私たちの人生は、借りもの競走のようなものなのです。
- そして、借りたものは返さなければなりません。
- 対照的な二つのことわざがあります。
「あとは野となれ山となれ」
「立つ鳥跡を濁さず」
- 借りたものを使わせて頂き、それを返却するとき、あなたは上記ことわざのどちらを選ぶでしょうか?
- どうせ自分のものではないのだから、使ってボロボロになっても構わないじゃないか。
いや、お借りしたものなのだから、借りた時よりきれいにしてお返しすべきではないか。
- どちらを選ぶかは、もちろんそれぞれの自由です。
- ただ、私たちは「借りもの」なわけですから、借りたものを粗雑に扱うということは、自分を粗雑に扱うことにも通じます。
- 次に使う方が、気持ちよく使って頂けるように、ピカピカに磨いてお返ししたいものです。
- だってそれは、誰のものでもない、みんなのものなのですから。
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