身の上相談 1
まだ雑誌や新聞に、身の上相談のコーナーが普通にあった頃のお話です。
あるティーン向け雑誌の身の上相談の担当者が、読者からの相談ハガキを著名な回答者のもとに持ち込みました。ところが、その回答者の先生は、こんな相談には答えられないと、回答を拒否してしまいました。快く回答者を引き受けてくれたのに、相談のハガキを読んで、態度が変わってしまったのです。
そのハガキは、女子中学生の片想いの相談でした。 どこにでもあるような片想いの相談でしたが、彼女が自分の片想いに悩んでいる様が切々とつづられており、担当者も多くの読者に共通する悩みだと考えて採用しました。 しかし、その著名な回答者の先生は、この悩みを、たわいない、答える必要のない悩みだと一蹴してしまったのです。
大きな悩み、小さな悩み、重い悩み、軽い悩み…悩みにも大小、軽重はあります。
人の生死に係わるような悩み、国や会社の行く末を左右するような悩みは、大きく重い悩みかもしれません。
片想いや友達とのすれ違いなどは、小さく軽い悩みなのかもしれません。
ただ、どんな小さな悩みでも、当人にとっては、地球滅亡よりも大きな問題に感じられることがあります。
悩みというのは、とても主観的なものです。
女子中学生にとっては、人生最大の悩みも、回答者の先生にしてみれば、取るに足りない問題でした。
一方、回答者の先生にしてみれば、原発問題は大きな悩みかもしれませんが、女子中学生にとってみれば、どうでもいいことかもしれません。
自分の悩みを人の悩みとして置き換えてみること。
それは、悩み脱出の一歩につながります。
そして、他人のものになった悩みに回答を試みること、それが次のステップです。
人は自分の悩みには回答を見つけられなくても、友達の悩みには回答を用意できることがあります。
なぜでしょう?
客観的に観ることができるからでしょうか?
それも確かにあります。ただ、それだけではありません。
それは、人のために悩むことの方が尊いからです。
自分より他の人の方が価値があるとか、
どうせ私の悩みなんて、国家の行く末に比べたら取るに足らない…とか、
そういうことではありません。
どうやら人は、人の悩みに親身になっていると、自分の悩みを忘れてしまうことがあるようなのです。
これが、悩み脱出の第3のステップです。
 

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