- 月と太陽 1
- 女と男がいます。陰と陽はお互いに惹かれ合い、一緒に暮らし始めます。
- しばらく時間が経過すると、それまで魅力的に感じられていた相手の長所に、
違和感を覚えることが多くなってきます。
しっかりした考えを持っていると頼もしく感じられていた面が、
融通の利かない頑固者に見えるようになったり、
社交性があると感心していた面が、浮気性に思えてきたりしてきます。
- 実はこれは、相手のある一面をどの角度から見るかという問題で、
まだ第一段階です。
- 第二段階があります。
例えば「しっかりした考え」の中身です。相手の持つ価値観や人生観が、
どうしても自分の価値観と相容れないと感じられてくる場合です。
- 例えば、どちらの姓を名乗るかとか、子どもを作るかどうかなどは、
これに含まれるかもしれません。
人生の岐路において、右に行くのか左に行くのか、行きたい方向が相反するように
なってしまうと、間をとることが難しくなってきます。
その場にずっと佇んでいるわけにもいきません。
- しかし、考えてみれば、この違いは当然とも言えます。
男女が惹かれ合う相手は、遺伝的に自分から最も遠い異性だと言われています。
性が違うだけでなく、育った環境も価値観も性格も容姿も、正反対の者同士が
ともに暮らすのですから、摩擦が起きるのは当たり前です。
- 「相手のことがわからなくなった」と言う人がいますが、わからなくて当然なのです。
それまで「わかっていた」と思っていたのは、本当にわかっていたのでしょうか?
- 陰は陽ではなく、陽は陰ではありません。
月は太陽のことをわかっているでしょうか?
机は椅子のことをわかっているでしょうか?
むしろ、わからないからこそ、惹かれ合うのではないでしょうか?
- だとしたら、わからないこと、違うことを嘆くのではなく、それを認めることが大切になってきます。
自分とは違う正体不明の相手を認め、許すこと。
- 「わかる」「理解する」ということは、相手を自分のわかる範囲の中で分類し、
レッテルを貼るということです。自分の範疇の中に取り入れることです。
それによって安心はできるかもしれませんが、自分の殻を破っていくことには
つながりません。
- それよりも、わからないことをわかろうとしたり、正体不明のまま付き合っていた方が、自分の可能性は広がって行きます。
- 岐路において、自分は右、相手が左と意見が割れたとき、自分ひとりだと絶対に行かない左へ行ってみたら、これまで見たことのないような風景が広がっているかもしれません。それこそが、陰と陽がともに暮らす意味でもあります。
- 正体不明の相手を認め、尊重すること、それは相手のためだけではなく、
自分の成長のためでもあるのです。
- しかし、これには次の段階、第三段階があります。
もし、相手が自分を尊重してくれなかったらどうするか、という問題です。
- それは次回以降に。
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