- 悩みの朝
- いつも悩みを抱えている人が、ある朝、普段のように目覚めます。
悪い夢にうなされなかったせいか、まだ完全には覚醒していないせいか、
心は穏やかで、日常的に心を騒がせている悩みの荒波は生じていません。
- その人は不思議な感覚に囚われます。
「いつもと何かが違う。どうしてこんなに穏やかなんだろう。
こんなの何かの間違いだ。こんなに平穏なわけがない」
- そう考えて、その人は自分の心の中のチェックを始めます。
心の中の引き出しから「悩みリスト」を取り出し、ひとつひとつ点検を始めるのです。
- ・いつも攻撃的なメールをよこす会社の同僚から、今朝もメールが届いているに違いない。どう返信しようか?
・今月はお金のやりくりが大変だったはずだけど、銀行の残高は?
・入院している母親の体調はどうだろう?
・洋服のコーディネートは、うまくできるだろうか?
・上司の機嫌が今日も悪かったらどうしよう?
・お天気は? 傘の用意は必要? などなど…
- そしてそのチェックがすべて終わった頃には、
目覚めたときの平安は、跡形もなく消え去ってしまっています。
- しかしなぜ、この人は朝の平安を自ら破り、
わざわざ悩みの再生産のようなことをしてしまうのでしょうか?
平穏なままではいけないのでしょうか?
- メールは来ていないかもしれないし、お金の残高もそれなりにあるかもしれない。
母親の体調はよく、コーディネートは就寝前に済ませていたかもしれない。
上司の機嫌も悪くなく、天気も久し振りの晴れかもしれない。
- そういう可能性をすべて放棄して、
穏やかな朝を、悩みの羅列で埋め尽くすのはなぜでしょう?
- ポイントは、「何かの間違いだ」という感覚にあります。
心の平安、というものに感じる違和感、居心地の悪さ…。
この人は、悩んでいる状態が普通で、悩みがないのが異常になってしまっているのです。
- これを逆にすることは、できないものでしょうか?
平安を信じ切ることは、難しいことでしょうか?
-
閉じる