- 「悩みの肯定」
- 悩みを肯定することについて、もう少し説明させてください。
なぜ、悩みを肯定できると、悩みの海から飛び立てるのでしょうか?
- 例えば、就活がうまく行かない人が悩んでいるとします。
- 自分はこの社会では価値のない人間だ、と落ち込んだり、
自分の価値が分からないなんて、この社会は間違っている、と怒ったり、
自分よりできないはずのあの人が、私より先に決まるなんておかしい、と妬んだり…。
- なかなか就活がうまくいかないことを、認めることができず、
なぜうまくいかないか、その原因を分析することもできずにいます。
- この状態がいかに矛盾した状態か、少し例を変えて見てみましょう。
- 例えば、電柱に車をぶつけてしまった人がいるとします。
急に路地から、子供が飛び出してきたからいけないんだ、
こんなところに電柱があるからぶつかったんだ、
自分がもっと用心していれば、
いったい修理代にいくらかかるんだろう、
待ち合わせの時間に遅れてしまう…等々、
いろんな感情や思いが沸き起こってきます。
- この状態で、事故を認めず否定したら、どうなるでしょう?
事故なんか起きていない、これは悪い夢だ、私に責任はない、悪いのはこの道路環境だ…等々。
- 電柱にぶつかったまま、車に座りっぱなしで、事故を否定し続ける…。
いつまで経っても事態は改善されず、電柱にぶつかった事故車という車内=過去に閉じ込められたままです。
- 事故は、過去に起こったことです。過去は変えることができません。
しかし、事故を否定することは、事故を起こっていないことにしようとすること、つまり、変えることのできない過去を変えようとすることです。
- 時間は未来にしか進みません。
だとすれば、過去は肯定するしかありません。
太陽が東から昇ることを否定しようとしても、せんないのと同じことです。
- 就活に失敗している過去を認めないままでは、いつまでも就活を続けるしかないのです。
- 否定のベクトルが、悩みを生みます。
肯定のベクトルが、悩みが生まれる暇(いとま)を奪い、解決の道へと誘ってくれます。
- 悩むことのない人、
それは、「過去」の住人ではない人、
そして、肯定のベクトルを持った人なのです。
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